“バクテリオファージ”で耐性菌時代を生き抜く

医療法人社団予防会 新宿サテライトクリニック
院長 北岡 一樹(きたおか・かずき)

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性感染症とバクテリオファージに挑む臨床医研究者が描く「感染症の未来図」

ここ数年、若年層を中心に増加傾向にある性感染症。
特に、我が国において梅毒の報告数は10年前の10倍近くにもなっている。(2025年11月現在)*1

単に患者数が増えているだけではない。性感染症治療の現場では、「薬が効かない」という現実が着実に進行している。ある感染症の唯一の治療薬とされてきた薬剤の投与量は、この十数年で何倍にも引き上げられ、限界が迫っている。

「このまま行けば、10年後には一部の性感染症は治せなくなるかもしれない」
医療法人社団予防会 新宿サテライトクリニック理事長 北岡一樹医師は、淡々とした口調でそう語る。
この現実を変えていくため、感染症領域で常に研究と臨床に取り組んできた北岡医師は、一筋の光を見出していた。

細菌を倒すウイルス──バクテリオファージ。

抗菌薬とはまったく異なるアプローチをもつその存在に、北岡医師は早くから注目してきた。
研究にとどまらず、社会実装までを視野に入れながら、耐性菌問題に向き合っている。
感染症治療の最前線を支える、北岡医師の白衣の向こう側に迫った。

ファージとの出会いが運命を変えた

北岡医師は、大学時代から細菌学研究に没頭してきた。
臨床では内科を経て、現在は性感染症を専門とする新宿サテライトクリニックの院長として診療にあたっている。
北岡医師は、研究と臨床の現場で抗菌薬の限界を肌で感じてきたという。

「淋菌に対する第一選択薬は、かつて250mgの投与が推奨されていました。ですが、現在は1gが標準となっており、今後さらに増える可能性があります。増薬でしのぐ時代は限界に来ていると思います」

“治療薬そのものがなくなる”未来。
その現実味を帯びた危機感から、北岡医師はファージに注目した。
ファージは細菌だけに作用し、人の細胞には影響しない。
「ポテンシャルは昔から知られていました。ただ、臨床で使いこなす仕組みが整わなかっただけなんです」

まず着手したのは、皮膚の悪玉菌に対するアプローチだった。
ファージの選別は容易ではないため、一歩目として、すでに見つかっていた黄色ブドウ球菌に作用するファージを用い、肌荒れ予防の化粧水として製品化したのである。
クラウドファンディングから始まった挑戦は、社会実装という次の段階へ歩みをすすめている。

世界基準のエビデンスにこだわる

北岡医師の医療哲学の核にあるのは、「世界標準のエビデンスから離れない」という一貫した姿勢だ。
性感染症は、インターネットやSNSなどで誤った情報が広がりやすい領域でもある。
「銭湯のタオルでうつる」「温泉で感染した気がする」といった、科学的根拠の乏しい話が後を絶たない。

「世界にはガイドラインがあって、UpToDateのような臨床支援ツールも存在します。にもかかわらず、現場では共有されていないことが多いです」

自由診療の場では、時に“不安”がビジネスと結びつき、不必要な検査や治療が行われるケースも少なくない。北岡医師はその流れから距離を置き、「自由診療だからこそエビデンス重視であるべきだ」と語る。

さらなる課題は、デリケートゾーンケアの“狭間”である。
婦人科は妊娠・出産や手術が中心で、性感染症の細やかな感染症管理は主領域ではない。
一方、感染症科は重症感染症を中心に扱うため、デリケートゾーンのケアには手が回りにくい。
この狭間に、多くの患者が取り残されてきた。
実際、長い間かゆみや痛みに悩み、複数の科を転々とし、最後に北岡医師のもとに来院する患者も少なくない。
細菌性膣症とカンジダの違い、どの症状にどの治療が必要なのか。
世界標準のエビデンスを以て、丁寧に患者に伝えることが北岡医師の役割である。

「不妊かもしれない」と告げられた先で

印象に残る患者の一人に、PID(骨盤内炎症性疾患)から卵管水腫を起こして来院した女性がいるという。
クラミジア感染が上行し、卵管まで炎症が到達すると、不妊につながる深刻な状況が起こり得る。
世界のガイドラインでは、PIDが疑われた段階で検査結果を待たずに治療開始することが推奨されている。
だが日本では、そのアプローチが十分に浸透していない。
北岡医師が診察した時、患者の卵管はすでに腫れ上がり、治療の遅れが明らかだった。

「本来やるべき治療が行われていなかったのです。とてもつらい現実でした」
それでも大学病院と連携しながら治療を続けた結果、卵管水腫は完全ではないものの改善し、患者は妊娠・出産に至った。

「自分一人の力ではありません。でも、世界基準の治療を日本でも実現しようとした結果だと思います」
性感染症は“語られにくい”がゆえに、正しい診療に辿り着くまで時間がかかる。
だからこそ北岡医師は、エビデンスに基づいた“確かな医療”を、静かに積み重ね続けている

2050年を見据えて
―抗菌薬にかわる選択肢としてのファージ

耐性菌は、抗菌薬の使いすぎで突然生まれるわけではない。
世界のどこかに“もともと存在している”菌が、薬の使用によって選択され、社会に広がっていく。
「風邪のように広がる、という表現が一番近いかもしれません」
2050年には、薬剤耐性によって世界で多数の人命が失われる可能性が示されている。

北岡医師は、その未来に備え、ファージの社会実装を一歩ずつ進める。
その一歩目として、皮膚の悪玉菌をターゲットにした化粧水として世に出した。
その先は、性感染症予防ローション、耐性菌対策としての活用といった長期的なロードマップが続く。
院長として現場に立ち続ける理由も、ここにある。

「患者さんの声を直接聞けること。検体を集められること。
それは、企業では絶対に持てない強みだと思います」
診療と研究、そして経営を同時に担いながらも、臨床医であり続ける覚悟が北岡医師にはある。

耐性菌の時代を切り拓くコンパスを手に

診察室で、北岡一樹医師は“未来”を見据えている。
目の前の一人の患者と向き合いながら、耐性菌という大きな問題へ思考を巡らせる。
その視線は、臨床と研究を日々往復しながら培われたものだ。

抗菌薬に依存してきた医療の歴史が揺らぎつつある今、必要なのは「次の選択肢」を医療へと落とし込むことである。
ファージ研究に取り組む北岡医師の姿は、まさにその端緒を切り開くものだ。

世界基準のエビデンスに忠実であること。
目の前の患者の生活と痛みに寄り添うこと。
そして、研究室で生まれた”光”を臨床へと接続し、社会へ届く形にまで磨き上げていくこと。
これらの要素が北岡医師の白衣の向こう側を形成している。

耐性菌という危機は、確実に進行している。
同時に、危機を乗り越えるための光もまた、生まれ始めている。

*1) 「2023年感染症発生動向調査事業年報年報」厚生労働省健康・生活衛生局感染症対策部感染症対策課、国立感染症研究所感染症疫学センター(2025年3月10日公開)

医療法人社団予防会 新宿サテライトクリニック
院長 北岡 一樹(きたおか・かずき)

医師であり研究者でもある北岡一樹院長は、2013年に医学部を卒業後、大学病院での研修を経て、細菌学の道へ。名古屋大学大学院で薬剤耐性菌の疫学研究に取り組み、博士号(医学)を取得。その後、早稲田大学の招聘研究員として研究を継続しながら、現在は医療法人社団予防会が運営する新宿サテライトクリニックの院長を務める。性感染症の診療を基盤にしつつ、自ら開発した「流行株対応広域ファージ」によるバクテリオファージ研究を推進。皮膚ケア製品の形でもその成果を社会実装するなど、“耐性菌時代”に備える医療と研究の最前線に立つ。

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