誰も取り残さない医療へ

おきたクリニック
院長 尾北賢治(おきた・けんじ)

「困っているのに、どこにも行けない人がいる」。

おきたクリニック院長 尾北賢治医師が歩んできた道の中心には、つねにその視点がある。
災害現場での医療提供、外国の僻地での救護活動、離島診療所での日々――
いずれも“医療の手が届きにくい場所”での経験だった。

専門分化が進む都市の医療と、複雑な背景を抱えた人々の間に広がる溝。
その現実を目の当たりにし、「どんな相談にも、まず応じられる医師になりたい」と思うようになったという。

適切に診ること、適切な場所へつなぐこと。その当たり前を、誰に対しても保証すること。
尾北医師の医療は、“誰も取り残さない”という哲学に貫かれている。

目次

災害医療が教えてくれたこと

尾北医師の原点にあるのは、東日本大震災での救護活動だった。

「災害現場で行われている医療は、目の前にいる人を助けるという単純な構造ではありませんでした。
自治体、消防、DMAT、ボランティア、あらゆる立場の人が入り乱れるような現場でした。
そこでは“何が必要か”を判断し、最適なリソースへつないでいく力が問われているように感じました」。

専門性を極めた救急医が、現場全体を俯瞰し、必要な支援を調整していく姿を尾北医師は目の当たりにしたという。
“患者を診る”だけでは完結しない医療がある。その衝撃が、尾北医師を救急医の道へ導いた。

さらに活動の場は海外へと広がる。外国の僻地、医療アクセスの極端に限られたエリアで見たのは、疾患の重さではなく、医療そのものにたどり着けないことが命に影響するという現実だった。

「都会には各診療科目において専門性を持っている医師が多いです。ですが、“誰に相談していいかわからない”人は少なくないです。疾患そのものより、入口の段階で迷ってしまう人たちがたくさんいます」。
この課題は、災害現場でも海外でも共通していた。

「まずは診る。そのうえで専門治療につなぐ」。
総合的に判断し、最適な場へ橋渡しする医師の必要性を痛感した瞬間だった。

“適切な医療”を受けられる場所へ導く

尾北医師が強調するのは、「適切な診断」と「適切な専門治療につなぐ力」だ。
診療所で完結する疾患なのか、病院で高度な検査が必要なのか。
命に関わる状況なのか、生活習慣の整理から始めるべき状態なのか。
その判断を誤らないことが、患者の人生を大きく左右する。

「診療所レベルでできることと、病院に託すべきこと。その境界線を見極めるのが、総合診の核になります」。医療提供の第一歩で迷わせない。それが尾北医師の考える“医療の入口”の責任である。

災害医療の現場で培ったトリアージの視点は、日常の診療にも息づいている。
多数の傷病者を見ながら優先順位を判断し、必要な治療へ導く――
混沌の現場に身を置いた経験が、尾北医師の“正しい判断”を支えている。

そして「つなぐ医療」という発想は、地域の多様性にも向けられる。
大阪のミナミ地区では、外国人住民が増加している一方で、気軽に受診できる医療機関はまだ多くない。
特に子どもを診てもらえる小児科は不足し、医療の入口そのものが狭い。

ある外国人家族からの感謝の言葉は今も胸に残る。
「どこに行けばいいかわからなかった。診てもらえる場所があってよかった」。

迷いの先に差し伸べられる手があるかどうかで、患者の未来は大きく変わる。地域の医療拠点として、その入口を開き続けることにこそ尾北医師の信念があった。

地元大阪での開業──“恩返し”としての地域医療

災害現場や僻地医療に携わってきた尾北医師が、都市部での開業を選んだのは、離島診療所での経験が大きかった
「離島には、“なんでも診る”医師が必要でした。都市にも、同じ役割を担う場所があっていいはずです」。
専門医療に細分化された大都市でこそ、総合的に診て、必要な医療へ導く“入口を担う医師”が求められる――
そう考えるようになった。

そしてもう一つ、重要な理由がある。
大阪で育ち、大阪の病院で学び、多くの人に支えてられたという尾北医師。
「地元に恩返しがしたいと思っています」。
その思いが、開業というかたちで結実した。

専門と総合の境界線を滑らかにし、迷いのない医療アクセスをつくる“地域のハブ”として、地元の人々の健康を守り続けている。

一人の力を超えた医療へ

現在、おきたクリニックは尾北医師ひとりで運営している。
そのため、できることにはどうしても限界がある。
しかし、見据える未来は広い。

地域高齢者への在宅医療、内視鏡など設備が必要な処置、専門性の高い治療
――これらは、周囲の医師仲間と連携しながら拡大していく構想がある。

「一人で全部はできない。けれど、チームを組めば地域で完結可能な医療はもっと広がっていく」。
その言葉には、災害医療で多職種を束ねた経験がにじむ。
連携への意識は、尾北医師の歩んだ歴史そのものだ。

総合的に診る姿勢を軸にしながら、設備や専門治療が必要な分野は積極的に連携する。
おきたクリニックは、単独ではなく“地域一体の医療”を目指す拠点として発展していく。

“来る理由は問わない”

「どんな疾患でも、どんな怪我でも、国籍は問わない。来る理由も問わない」。

健康不安は、人によって形が違う。
言葉の壁、文化の壁、医療不信、相談先がわからない不安。
そのどれもが、医療の入口を閉ざしてしまう可能性がある。
だからこそ、尾北医師は“まず相談してほしい”と繰り返す。

「入り口が開かれていること」そのものが、地域にとって大きな価値になる。

医療の入口を担い続ける

尾北医師の歩みは、“見えない壁”を越えてきた歴史でもある。
災害現場での混乱、僻地での医療不足、都市の専門分化による分断――
いずれも、誰かが取り残されやすい環境だった。

そのなかで尾北医師が選び続けたのは、入口を広げる医療である。
まず診ること。必要な場所へつなぐこと。
その当たり前を揺るぎなく守る姿勢は、医療の本質を照らし続けている。

おきたクリニックが目指すのは、専門医療と地域生活の間にある大きな溝を、少しずつ埋めていくこと。
“ここなら相談できる”という安心が、地域を豊かにする。

尾北賢治医師の信念は、誰も取り残さない地域の未来を形作っていく。

おきたクリニック
院長 尾北賢治(おきた・けんじ)

災害現場、海外僻地、離島など “医療の届きにくい場所” を渡り歩き、行き場のない不安を抱える人々に、総合的な医療を提供してきた。“医療の入口”を担うという使命を胸に、地元大阪で開業。国籍や疾患を問わず、あらゆる不安に応じ、必要な医療へ橋渡しする地域のハブとして、総合的な判断力と連携力を武器に“誰も取り残さない医療”を実践している。

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